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α-200とマイノリティ

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元々お互いが支えあうために個性をいい意味で殺しあってきた日本。
昔は他人を思いやる礼儀として多少の断りや弁解をすることによって大人の会話がスムーズに行われたものです。
主張したいことキチンと根元に置いて一歩引く余裕をもっていたんですよね。


それがいつしかマイノリティという言葉が誕生し、それが個性として捉えられるようになってきた。
そして、そこまではまだいいんですが だんだんそのマイノリティということを全面的に主張する人間が増えてきました。
つまり表向きでは集団に合わせるのが上手な人でも自分への関心が極度に高いために 昔は余裕をもって展開されていた会話さえも苦痛と感じねるようになった若者が増えてきたのです。

前に某友人とも議論していましたが そういう人はとにかく話の領域が狭い。話題は常に身の回りで起こったことや誰でもとっつきやすいアニメや芸能の話ばかりですから いつしか必ず飽きがででくるでしょう。これは人間味の深さにも繋がってくることだと思います。

また、この若者の関心度は 最近ではよく耳にする趣味がない・お金はあるけど食べものや洋服くらいの遊ぶお金しか使わない ことにも少なからず比例している。
 
どちらかというと自分もマイノリティ側の人間、少数派な考えをもっていて変わり者扱いされてきましたから気持ちは分からなくもないのですが むしろ他社の個性が強くなってきた人間関係だからこそ 1つの問題や関心のあることについて意見を交わしてみたら意外と面白いんじゃないでしょうか?
そういうところで人間の面白さを知るとさらに会話の領域も広がり深さを増していくと自分は感じます。


本当のマイノリティとは"世の中と個性"てはなく "相手の個性があるから自分の個性が生まれる"ということではないだろうか。


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